高齢者の急変時の対応について

2024年05月01日

高齢者の急変時の対応について

 

相続の仕事で遺言執行の仕事に関わることが年に数件あります。そこで医療と介護・法規制と実務の狭間のドタバタしたことを紹介いたします。

 事故や病気などで意識がなくなり、自分の意志を伝えられなくなったときに自分がどのような治療を希望し、

どのような治療を拒みたいのかを判断がしっかりできる時に書きとめておいたものを事前指定書といいます。

 事前指定書は英語では「Advanced Directive」(アドバンスト ディレクティブ)とよばれ、

個人の尊厳を重要視する欧米を中心に早くから運用、普及していたものが近年日本に入ってきました。

 

 日本でも、最近“おまかせ医療”に疑問を抱く人や“インフォームド・コンセント”を重要視する医療者などによってこの事前指定書を普及させる動きが活発になってきています。

 

基本姿勢として今後の私の選択=「Let me decide(私に決めさせて)」の具体的内容を擦り合わせておく必要があります。

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 自分の医療は自分で決めるのが治療を受ける場合の原則です。

 すべての情報を自分できちんと把握し医師と相談しながら選択決定をしていく人もいれば

「おまかせ」で医師にすべてをゆだねる人もいます。

 

事前指定書とは(主な4つの事前指定書)

1. リビング・ウィル(Living Will)

 

 リビング・ウィルは元気なときからご自身の延命治療の希望などを考え、ご家族と話し合い書き記しておく生前の意思表明です。

 突然の病気・事故などで意思表示ができなくなり回復が見込めず最期が近づいてしまった時にも、

ご本人の希望をご家族などに伝えることができます。

 

 一度書いてみて、その後考えが変わった場合でもリビング・ウィルは何度でも書き換えることができます。

 自らが希望する医療やケアを受けるために大切にしていることや望んでいること、

どこでどのような医療やケアを望むかを自分自身で前もって考え周囲の信頼する人たちと話し合い共有することが重要です。
 もしものときのために自分が望む医療やケアについて前もって考え、

家族や医療・介護の関係者と繰り返し話し合い共有する取り組みを

『アドバンス・ケア・プランニング(ACP):愛称「人生会議」』と呼びます。

 

 「最期が近づいたときにどんな治療を受けたいか」・「どんな最期を迎えたいか」を元気なときから家族と話し合って書き残す

「リビング・ウィル(生前の意思表明)」や自分自身の人生を振り返り、

今後をどう過ごしたらよいのか等を考える「エンディングノート」をひとつのきっかけにして、『人生会議』を開きます。


 ◆人生会議で話し合う主な内容
◎自分が大切にしていること   

◎最期のときをどこで過ごしたいか

◎最期のときにどのような治療・ケアを望むか、または受けたくないか

 

2.レット・ミー・ディサイド(Let Me Decide)

カナダのモーロイ博士の発案した事前指定書「レット・ミー・ディサイド=LMD」を基に治療法と代理人指定するところが特徴です。

 これは長所でもあり短所ともなりうることですが、

事前指定書はその作成のプロセスで代理人(主として家族)やかかりつけ医と話し合うプロセスが重要であり、

このプロセスを発展させ本人の人生観・価値観を尊重した継続的なケアのプログラムを考えようというのが、事前ケア計画(ACP)です。

 

ただ、ACPを普及定着させるために医療体制全体の中での位置づけや現場の意識改革および市民の死への準備教育が必要であり、

まだこれからの法整備が必要な考え方です。

3.いのちの小びん(Vial of Life)

Vial of Lifeは、もともと患者の冷蔵庫内に医療情報フォームを保管するために使用された処方ボトルにちなんで名付けられました。

 患者が最初にVial of Lifeキットを使い始めるときは、病歴に関する医療情報をフォームに記入します。このフォームのすべての情報は患者が提供する情報が多ければ多いほど良いとされ。

 患者は、血液型・病状・現在の投薬・医師の名前と連絡先・アレルギーの有無・保険情報・医師以外の緊急連絡先などの情報を記入します。

 緊急時に救急隊員が特別なアレルギーや病状のある患者を適切に治療するための措置を講じることができます。

 さらには自分自身を識別するのに役立つ写真などもいれます。

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4.冥土の旅の一里塚     『それでも救急車を呼びますか―逝き方は生き方』

著者:特定医療法人鴻仁会理事長 金重 哲三様より話題になった。

 

事前指定書「冥土の旅の一里塚」の特徴は、書類の中に救急車を“呼ぶか”“呼ばないか”という選択肢を設けたことにあります。
救急車で運ばれる先、つまり救急病院は濃厚な治療を行うことを使命としている場所(急性期病院)です。

 意識がなくなり自分の希望する治療を医師に伝えられない状態になって救急車に乗ると事前指定書を書いていようがいまいが、積極的な治療を受けることになります。

 つまり、せっかく事前指定書で“望まない治療”を選択しても救急車に乗ってしまった時点で、その希望がかなう確率はかなり低くなるということなのです。


救急車に乗らないという選択にも問題はあります。

 その選択をするには、本人も家族も相当の覚悟が必要になることです。

 救急車に乗れば助かるかもしれないという可能性を「捨てる」覚悟ができる方のみが“救急車を呼ばない“選択肢を選ぶことになります。

 

まとめ1:終末期の場合

 リビング・ウィル事前指示書は一回きりで終わりではない。変更は随時可能です。

 患者と患者家族の意思を尊重して行動することが重要です。

 事前指定書の共通認識はまだ未成熟です。知らない人が多い。

 

まとめ2:事前指示書の意義

 本人の意識がなくなった場合に治療の選択は家族に任されることが多いが、

患者が重篤であればあるほど、末期に近ければ近いほど家族や医師にとって負担となる。

 事前指示書は本人の意志疎通ができなくなったときのみ効力を発する。

 本人・代理人2名・かかりつけ医の署名(民法的に望ましいとされている署名者の手続き)。

まとめ3:救急医療と在宅医療

 救急医療は何が何でも助けるということ家族・本人の意志はほとんど入らない。障害もなく助かれば感謝されるが、障害が残り助からないと文句を言われることもある。

 在宅医療はいかに最期を迎えさせるかを考える。本人・家族の意思を尊重し、本人・家族と一緒に悩み苦しむが最後には満足感。そばにいない第三者が文句を言うこともあるかもしれません。

 

ケースレポート:警察・救急車を呼ぶとどうなるか

①  在宅看取り予定の方に関して、近隣の家族が救急隊を呼んだケース

救急隊を呼んだケースでは、同居人が先にほんの数分前でしたが早く到着したので、部屋に踏み込んできた救急隊員に在宅看取り予定のことを言って帰って頂きました。

 着くのが遅れていたら死亡診断書が書けないところでした。

 

②  在宅看取り予定の方に関して、家族が警察をよんだケース

警察より同居人が先に到着して既に主治医の死亡診断をしてしまいました。死後の清拭に訪問看護師さんも呼んで私もすでに到着していました。

その後に警察が到着、残念ながら検死となってしまいました。

しかし、主治医と私で在宅看取りの件を説明し死体検案書にはならないですみました。

 

早朝ヘルパー来訪時にベッド脇で倒れ在宅酸素が外れた状態で心肺停止となり発見されたケース

(肺癌末期の患者さん)

ヘルパーさんから連絡後すぐに30分ほどで来訪し、死亡確認しましたがその直後に所轄警察署が踏み込んできました。

 聞けば報告を受け焦ったケアマネさんが110番したとのこと。

主治医が先に到着し死亡確認までしているにもかかわらず、「通報があったため、検死の対象だ」の一点張り。

 結局、そのまま御遺体は警察の管理となり主治医の診療所は早朝に駆けつけ死亡診断したものの、それすら受け入れられずということがありました。

 

警察・救急車を呼んだ場合

救急車をあわてて呼んでしまった場合には、救急隊員に運ばれて挿管されたり検案事例になったりと、

家族本人の望まないケースになるが、パニックになって呼んでしまうことも少なくありません。

 死体検案時にて警察がきていて検案を主張しても主治医がいて定期訪問していれば死亡診断書が書けるとのことです。

 

みんなで理解しよう終末期のあり方(在宅看取り 届出について)

警察に在宅看取りの事をよく知ってほしいということはありますが、私の何回かの経験では向こうも仕事でやっている以上、通報があって出向かない方が内部的な問題になるようです。

 在宅看取りについては、医師の方々でさえも十分理解しているとは言えない現状では、警察までが理解できるようになるのは先の事ではないかと思っています。

結局家族への啓発といっても、いつも接するキーパーソンは理解していても別の家族や近所の人が警察や救急隊に電話し、こういうことがあり得ます。

ケアマネが通報ということ、ケアマネも在宅看取りということを知らない、経験したことがないこともあるので普段から周知しておく必要性をいつも感じます。

 

キュアからケアへ

知人の医師が終末期医療で延命処置のための点滴をするべきかという論議がされたときに、一個人としての体験(癌の奥様を自ら看取った体験)を話されたそうです。

 亡くなっていくのは患者さん本人であるし、悲しみの中で見送っていくのは家族ですから最良の手助けを主治医はやるのだと言ったことを思い出しました。

キュアは治療すること、ケアは介護すること。

 在宅医療のあり方を考えるとき、在宅医療でもキュアはできるがそれが正しいことなのか、漠然と生きながらえさせるのには抵抗があります。

 また、自然に寿命を迎えさせることが理想なのか。

 最近、私は病院以外の自宅や有料老人ホームで介護をして看取りをしてもいいのではないかと思っています。

医療知識の豊富な方にケアをしてもらうことで、本人が安心するのと。家族の精神的支えになる。

(〇〇病院の○○先生の診断がよいとか。認定看護師でないと駄目だとか。そんなことではない)

 

 本人が自分の生き方(逝き方)として、清明なときから事前に意思表示して準備して自らの尊厳ある

人生を決定づけます。自分の命のことは自分が決めるという,当たり前のことを書面で残しておくことが非常に大切だと思うのです。

 

文責:千葉政美